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2011年08月15日

それって受けが悪いのか?合気道の謎◆フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ

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先日、合気道の講習会に参加してきました。

本部道場の有名な八段の師範でした。

僕は、たまたま前のほうにいたので、
師範の受けを取らされました。

僕が師範に横面打ちを打っていきました。

横面打ちとは、
相手の首筋に手刀で袈裟斬りする攻撃技です。

僕が横面打ちをしたのですが、
師範の技が上手にかかりませんでした。

僕の知らない技でしたので、
前受身にすべきなのか、
後受身にすべきかもわかりません。

効いていない技なので、
僕は上手に受けを取ることができません。

知っている技ならば、受身もとれるのですが…(笑)。

師範は、「お前の踏み込みが浅いから
技がかからないんだよ」といいました。

僕は意地悪をしているわけでもなく、
自分なりにまじめに横面打ちをしたのですが、
どうも師範の納得のいく横面打ちではないようです。

周りの講習会参加者たちは笑いました。
師範ではなく、受けが取れない僕に対して。

とっても恥ずかしかったので、テキトーに前受身を取って、
受講生の輪に戻りましたが、
どうやら後ろ受身をとるべき技だったらしいです(汗)。

講習会の最後に、
師範も僕の受けが気になったのか、

「攻撃側はしっかりと踏み込んで攻撃してくれないと
技がかからない。しっかりと打ってくれない人が多くて困る」と
おっしゃっていました。

そっかぁ、俺の攻撃は甘いのか…。

どうも僕はこの「合気道における攻撃側の力の加減」が
昔からわかりません。

高齢の師範にマックスの力で打ちかかるのは失礼だと思うし、
加減をすると踏み込みが甘いといわれる。

相手の技がかかりやすいように
ある程度のパワーで打ちかかってあげると
僕の体勢がくずれてしまう。

ある程度のパワーで打ちかかると
技はかかりやすいらしいのですが、

「そうたろうの打ち方は、体勢がくずれてしまっていてダメだ」

といわれる。

いったい、どんな打ち方をすればいいのでしょう???

合気道を10年稽古してきて
参段もいただいていますが、
どうもこの「約束事」が理解できません。

技の掛けにくい悪意のある攻撃ならともかく、
攻撃部位も間違えていませんし、
踏み込みが甘い、とは…。


踏み込みが甘いとかからない技って何なんだ?


加減をしつつ、でも踏み込みはしっかりやる攻撃技って何?

僕は理解に苦しみます。

僕はどうやら
「受けのヘタクソな合気道家」らしいです。

でも、効いてない技を効いたような振りをして
飛ぶのは、本末転倒ですし、

なんのための稽古なんだ?って思います。

どうも、合気道の世界は、
フルコン空手をさんざん経験した立場からすると
理解できないことがいまだに多いです。

合気道に試合はいらないけれど、
効かない技は効かないという
リアルな現実を受け止めてもよいのではないでしょうか。

あなたはそんな経験、ありませんか?

追伸:
この文章をメルマガで書いたのですが、
ご心配をかけてしまったようで、
何通かメールをいただきました。

どうもすいません。

講習会では、正直、いい思いはしませんでしたが、
合気道場の仲間たちとは仲良くやってますし、
しばらくは合気道を続けるつもりです。

空手家からみた
合気道に対する素朴な疑問を書いただけですので、ご心配なく。

いつもお付き合いいただきありがとうございます。


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ラベル:空手 合気道 武道
posted by そうたろう at 10:59| Comment(39) | 合気道からの気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そうたろうさん、こんにちは。

今回の文章を見て、そうたろうさんの正直な考えが出て来ているのが見えて少し安心致しました。偉そうで申し訳ありませんが(笑)


私は小柄では無いのですが線が非常に細いので、塩田剛三先生の技を昔から良く参考にして来ました。

塩田先生と言えばあれだけ激しい稽古を積んでいる方で、技の利かせ方には一切の妥協が無いので一番分かりやすいです。

又合気系にありがちな掴んだ手をどうこうするといった、現実的ではない袋小路には絶対に行かない方なので誰が見ても信頼できます。

塩田先生の技は相手の力を正確に捉えてそこに自分の力を体ごと当てに行き、いきなり相手のそこに乗り掛かるという、ご自分の俊敏性と小柄な体格を生かしたもので一つの哲学の領域まで持っていると思います。

そんな塩田先生も手を捕まえられてからどうこうするといった事は本来はおかしいと言う事を生前言われていたようですし、だからこそ植芝開祖が行っていた感応からの誘い・導き・誘導の方法を弟子の人達の前で披露していたようです。

もっとも、そればかり練習されると困るのであまり普段はやらなかった事を井上強一先生がご自身の著書の中で述べられてますが。

・・・・・・と言うような事が現代にきちんと伝わってきているので勉強になる訳ですが、どうも学ぶ姿勢の問題は有る様に感じています。


先日私の弟子に当たる方の稽古会に呼ばれて技と術理の解説をして来ました。

合気会のそれなりの地位にいる先生方がそこの稽古会に参加していると言う事で前述の様な話をして来たのですが、全く興味が得られなかった様で何の反応もありませんでした(苦笑)

それを察してか、会の主催者である私の弟子の方が一生懸命色々と助け舟を出してくれたのですが、全く意味を成さないようでした(笑)

物事には阿吽の呼吸と言うものが有ると思うのですが結局の所、今の合気道会にはそういうものが無いのかなとは思います。

私個人としては武道の技は基本的に効かなく出来ていると思っているので (笑) こんな不確かなものでよくもまあ技がどうのといえるなあと感心さえします。

私はよく「合気道は知らないが植芝開祖や塩田先生は知っている」 と敢えて述べていますが、そういう事が往々にして起きています。


今回のお話を断片的に聞くと、技の力の抜き方と逃げ方の違いも分からずそうたろうさんに文句を言われている様子なので、色々大変なんだなと思いました。


なんというかそうたろうさんも長いトンネルを抜けつつあるご様子なので、これからも頑張って下さい。
Posted by 南町の男 at 2011年08月15日 13:03
 こんにちは。同じような光景を見た事があるので笑ってしまいました。同様の事は、世界中どこでもありますね(笑)。捕りが受けに何かを要求するってのは、なんなんでしょうね。端から見ていても滑稽以外の何者でもありません。ましてはエラい先生がこういうことを言っているという聞くとガックリします。

 今直接指導して頂いている方は、合気道の指導者で且つ30年以上柔術と空手をやっている方なんですが、いつも何が起きてもおかしくない事を前提にして指導されているのでとてもインスパイアされます。そもそも道場生に他の武道経験者やレスリング経験者が多いせいか、指導者が自分の技がかからない事に対して下手な言い訳をしたとしても、稽古生から失笑されるだけです。それもいい緊張感で稽古ができている要因の一つなような気がします。

 効かない技を効くように見せかけることは、したくないものです。

 
 
Posted by Taka at 2011年08月15日 13:30
こんばんは。

受けは全力にて、打ちかかるべきですね。遠慮は、受けの自信過剰の気持ちで、捨て去るべきです。それで、合気道から、排除されなら、合気道はそのレベルのものです。

私は、地方で合気道をしていましたが、本部から派遣される講師の技は、正直かかりませんでした。悪意はありませんでしたから、あなたの気持ちは、わかります。

でも、本物はいます。地方にもいますよ。結局、それらの方は、主流派ではなく、反主流派的な立場にいる方が多いと思います。

達人的な方は、会から、嫌われるのが、どの武道でもあるように思います。

高段位とかを目指すのでなければ、真の合気道人を探すといいですね。手を合わせると、その方の力がわかる方が、市井におりますよ。




Posted by miru at 2011年08月15日 23:39
ご無沙汰しております。

また興味深い内容なのでコメントさせていただきます。

入り身投げかなにかの応用技だったのでしょうか。
横面打ちの様子をみて、空手の強者だということは推測できなかったのですかね、その先生は。

受けに対して注文を出すような先生もいれば、本物の先生もいます。
合気道は、何もしらないおばちゃんも黒帯が取れるくらいですから、そういうことにもなるのでしょう。

思いっきりいけばよかったのではないでしょうか。畳に沈めてやればよかったのです。

なんて無責任なことをいってはいけませんね。

ご苦労、お察しいたします。

合気会の新年の行事を見学にいったことがあります。
段位の発表があって、壁にはりだされるイベントがありました。
みなさんそれを記念に写真に撮って帰るのです。
驚いたのは、七段、八段という段位に進む人がおびただしい数いることでした。

我先にと写真をとるために人を押しのける八段の人達を見ながら、もちろんそういう段位の実力者なのでしょうけれど、本当にそうなのか疑いたくなりました。

フルコンの八級のパンチも避けられない八段もいるのかもしれません。

本当に強い師範もいるのに残念です。

多人数取りなどという、踊りを踊りながら喜ぶ高段者をみながら複雑な心境になるのは、心が狭いからなのかもしれません。

しかし、なんらかの方法の、例えば、健康コースと本格コースに分けるとか、いろいろあるのではないでしょうか。
Posted by 影好法師 at 2011年08月16日 00:40
こんにちは、そうたろうさん。

私は、合気道のことは素人なので、よくわかりませんが、一種の約束組手だったのでしょうか?本当は刀で袈裟斬りにするところを素手の横面打ちにするので、本来なら刀を持った状態では、しっかりと踏み込まないと斬れないから、「踏み込みが浅いとかからない」とか・・・。

にしても、実際には相手はフェイントも使うし、力の加減なんて十人十色なんですから、どんな状況下でも使えなければ無意味ですよね。

全然、関係ない話で恐縮ですが、この間、家族三人で道場に行ってきました。

私は、職場の同僚と病気との闘いに疲れ果て、その間、道場へ通えず、何ヶ月ぶりかでしたが、代表はいつもと変わらず温かく迎えてくれ、とても嬉しそうでした。

久しぶりにストレスを発散して完全燃焼してきましたが、代表のカウンターを顔面に食らって鼻血を出しながらのスパーでした。でも思いっきり代表に挑戦できるのって楽しいし貴重な体験です。鼻にテッシュ突っ込んだままで、はたから見れば笑える格好でしたが、カウンター顔面にもらうたびに笑っている自分に気付き、自分も空手が好きなんだなあと思いました。

そんな代表は、技の説明の時には、こう来たらああするみたいに教えてくれますが、約束事をだんだん排除していってランダムになり、最後まで残った人には、グローブ付けてですが、顔面ありの何でも(投げも)ありでスパーしてくれます。まあ、大概、意図を読まれてて、簡単には当てさせてもらえませんが、それでも左前蹴りや左ジャブがカウンター気味にヒットするまでになりました(流石に右のフックは狙ってたのがバレバレだったのか不発のまま終わりましたが)。手加減しているとはいえ、何とか組手らしくなり、とても嬉しかったです。

実際の闘争は、イレギュラーの連続です。確かに基本に忠実な反復稽古は必要でしょうが、飽くまで土台づくり。技の説明でない限り、相手がどうのこうの言ってる間に、現実ではやられちゃいます。まさか、暴漢に「踏み込みが甘いからもう一度!」なんて言ってられませんよね。

逆に限定条件の多い高度な技って使えるんでしょうか?私は、シンプルイズベストだと思っていますから、基本技の中にこそ奥義ありだと思って、基本稽古にはことさら力を入れて、相手の姿をイメージしながらやってます。

練習過程での約束組手ならいざしらず、高段者が攻撃に注文付けるなんてナンセンスだと思いますが、素人考えでしょうか?

現実は予測不能の連続です。かかる、かからないが相手任せの技は、伝承するのに価値が移ってしまっているのでしょうかね?伝統派の高度な型みたいですね。

私も上達論については書籍を読みあさった時期もありましたが、私にも理解不能の状況です。お役に立てなくてすみません。

それではまた、何か思いついたらコメントさせていただきますね。では、失礼しました。
Posted by SD不肖の弟子 at 2011年08月16日 11:22
初めてコメントさせていただきます。こちらのサイトはよく訪問させていただいておりました。

私もそうたろうさんとほぼ同じ程度の合気道歴の持ち主です。他武道の経歴はほとんどなく、その点、そうたろうさんには足元にも及びません。

私も同じ感想を持つことが少なくありません。私が通っている道場は、とても自由で師範は向上心のある方なので、師範との組み手で、同じ経験をすることはありませんが、他の道場では、何度もありました。また師範との組み手でも、正直私の方がどうしても遠慮をしてしまい、これが完全に自由な攻撃であれば、師範でもさばけないのでは、と感じることはあります。

合気道を修行するものの特有のジレンマなんでしょうね。
しかし私も少しですが、他の武道や総合系を齧ったことがありますが、他の武道、格闘技でも同じことが言えるのかもしれません。顔面パンチや急所攻撃、噛み付き、頭突き、指折り、目潰しなどは禁じられておりますから。あくまでもフォーマットの決まった範囲内での、自由演武と言えなくもないように思います。
合気道は型稽古や演武の稽古だけですが、その中では禁じ手がありませんので、その点は合気道に分があるようにも思えます。

合気道とフルコン空手の両方を修行されているそうたろうさんは、理想的な修行スタイルかもしれませんね。

今後もサイトを楽しみに拝見させていただきます。
Posted by zussy at 2011年08月16日 11:48
 こんにちは邪馬本です。今野塾は空手ですが合気武術的な崩しもよく稽古するので似たような状況は見かけますね。
塾長自身はどんなかかり方をしても技をかけてしまいますが、掛かり手の攻撃のクセによってかかりやすいかかりにいくいはやっぱりあるんですよね。っていうかあって当然。
 合気道や首里手の仮想敵は基本的に同じ合気道家同士、首里手家同士あるいは剣術家なので、これらの武術家たちの持つ打撃あるいは切り込みのタイミングに合わせるように技が構成されています。

 まず、そうたろうさんはフルコン空手出身ということで打撃を行う際に踏み込んで停止してから手を振り始めるクセはありませんか?
フルコン出身の方が伝統派空手や首里手系の古流空手に転向したとき戸惑うことが多いのが踏み込みと突きが同時に出るところです。
踏み込みと突きが同時だから前足がまだ空中にある時点で拳が動き始めるというタイミングになるんです。
一方でボクシングやキックなどのグローブ格闘技、那覇手系の古流空手は足を地面にしっかり着地してから打撃を繰り出すことが多いかと思います。フルコン空手は創始者である大山倍達は剛柔流出身だしムエタイの参考にした指導者も多いのでこの系統に入ると思います。
 合気道と首里手の場合、日本剣術の影響を色濃く受けています(松村宗棍はじめ琉球士族の多くは日本剣術を弊習していた)。剣道の竹刀の打ち込みなんかを見ても右足が地面から離れると同時に竹刀を振り上げ地面に踏み下ろすと同時に打突していますよね。

 首里手の崩しでは、この踏み込んできた足が地面に着地する直前に手を取る、首を刈る、足をすくうなどして軸のバランスを奪ってしまう用法を多用します。たぶん合気道の投げも似たようなタイミングで使ったりしていないでしょうか?
移動と打撃のタイミングが同時ならば攻撃に合わせて技をかけてやればいいのですが、移動後に打撃タイプを相手にした場合、攻撃の手ではなく移動にタイミングを合わせる、手を取る代わりに首や顎を引っ掛ける、あるいは完全に攻撃をすかして引き込んでしまい崩す方向を逆にするなどの応用が必要になります。

 首里手の稽古であれば首里手の基本に則った攻撃、合気道であれば合気道の基本に則った攻撃で掛かり手はあくまで掛かるべきであり、そうしないと「技」が作りこめない。
とはいえ自流の武術以外の攻撃や素人のタイミングばらばらな攻撃に応用対処できないようではあまりに情けない。指導者であればなおさら。
 自分の場合、約束組手で相手が掛かりにくい攻撃をしたときはたとえ約束と違う動作をしてでも崩して床に倒してから、「この人はこういうタイプの攻撃をするから、こうしないと倒れない」と理由を説明してから改めて基本に則った攻撃方法に修正して基本通りの約束動作でもう一度例を示すという方法を取っています。
 そして他流のクセが抜けない塾生には頭ごなしに否定するのではなく、そのやり方はそれはそれで価値があるものだけど、ここのやり方も別の利点が数多くあるのでココの稽古ではしっかりそれを学んでほしいと伝えるようにしています。
Posted by 邪馬本 at 2011年08月16日 11:54
そうたろうさんこんにちは。

大変でしたねぇ。。。

例えば正面打ち一カ条はまっすぐ打ってくるものをどう崩すか、ですが、たまに崩されるのと反対側に体重をかけてこらえ、これぞ実戦、と果てしなく勘違いをされる方がおられます。

そういう方向の力には内よけの入り身で対処するのが合理的なのですが、形稽古の意味を理解されず、実戦まがいにふんばって強くなった気になっている人がいるのは残念だなぁといつも思っています。

まぁそういう人の姿勢も崩せるような強い中心力を養ういい練習だと思ってそれはそれで楽しんでいるのですが。

で、僕が何を言いたいかといいますと、その技の理合に明らかに反するような、つまりはお互いの(受けにとっても)良い練習にならないような攻撃は無意味だと思いますが、そうでない限り、受けの攻撃を力加減などの点において仕手に合わせる必要は全くない、ということです。

そうたろうさんは何も笑われるようなことはしていないし、何も気にするようなことはないと思います。

「高齢の師範にマックスの力で打ち込むのは失礼」とありましたが、そんなことはありません。全力でぶちこんでしまえば良かったんだと思いますよ。

その師範も踏み込みの甘くないその攻撃をきっと華麗に捌かれたことでしょう…。。。(汗)

どんな世界にも色んな人がいますが、合気道には特に色んな人がいるような。。。(笑)

まぁ色々ありますが、合気道それ自体には優れた理合があるのもまた事実だと思います。考え方はそれぞれなので、まぁそんな師範もおられるのか、くらいの気持ちで(笑)これからも「そうたろう合気道」を追求されてはいかがでしょうか。

…何かエラソーな物言いですねオレ(汗)

僕もそうたろうさんのはるか後ろから、少しでも近づけるように頑張りたいと思います。

ではまた遊びにきまーす。。。
Posted by りょうすけ at 2011年08月17日 05:32
そうたろうさん。こん**は。

率直に言わせていただくと、恥ずかしいお話だと思います。この八段の先生の弁解は・・・

百歩譲って、そうたろうさんの打ち方が、師範の思っていた型にならないものであったとしても、別の形で捌いて見せてほしいものです。その上で「ちゃんと打て」と言うのならわかるんですけれどね。「お前が悪い」なんて誰だって言えるんですから(笑)

受けも技の理合いを理解して動くことは必要ですが、それでも、やっぱり技が効かないのは自分の問題であって、相手のせいにするのはおかしなことです。まして、講習会を開くほどの立場の方であるのなら尚更ではないでしょうか。

今回の一件は、試合のない合気道特有のいやらしさが出た場面だと思います。私自身も、自分の技が極まらないことで、受けに回った後輩に説教したり、注文をつけるようなことをしないよう、気をつけたいと思います。

次回の更新も楽しみにしています。
Posted by 41歳の春 at 2011年08月18日 00:07
お初にコメント参加致します。
当方、少林寺拳法を3年、20年後、極真会館11ヶ月、合気道を4年、3年後、武神館忍術2年、現在顔面ありグローブ空手修行中の55歳です。
残念ながら何一つ極められず、迷走しておりますが年寄りでも闘えるを目指しています。
幸運だったのが少林寺拳法で剛法、柔法の基礎があったことだと思います。
極真会館では、組手構え、突きが少林寺風、合気道の立関が少林寺とだぶる。
その中で違いに気づきました。
合気道の先生は名人ではなかったと(ごめんなさい)思いますが、少林寺とは入り方が違いました。少林寺はきっちりきめるという感じですが、合気道は誘う、ひきこむということが感じられました。また、当て身を多用していましたが、打撃系の身体遣いとは違いました。
武神館では、関節技で痛い内は駄目とのことです。
決める以前に崩すと言うことだと思います。
流派の比較で勉強になりました。
そうたろうさんのように同時進行は到底出来ませんが、無謀にも術系の動きでフルコンを幾つまで、何処までやれるか?
好いもの悪いものを取り入れて続けて行こうと思います。
ブログ参考にさせて抱いています。
Posted by 拳五郎 at 2011年08月22日 01:03
 最近とみに合気道および武道全般に造詣が深い方がコメントされていて大変興味深く読ませていただいています。

 そうたろうさんは合気道は試合が必要ではないとの事。残念です。私は必要と考え現在の組織にいるものです。

 それならば受けの打撃は、技をつくる(掛け)人の掛けやすい(説明しやすい)打撃が正解なのです。この場合は横麺打ちですか? 研究ではなく講習会という場では好きに打てば良いということではありません。

 フルコンの所謂当てる打撃とは違うのです。沖縄空手の詳しい方がおしゃられている仕方に近いかと思います。フルコン空手からみると勢いだけでダメなものです。
 
 塩田先生の話が出ていましたが、私は内弟子ではありませんが約20年本部で習っていました。確かに順手でつかませて2か条のように効かせて誰にも真似できない効かせ方をされました。それでも両手持ち呼吸投げの技を、受けの私が途中で離すと投げられません
でした。当たり前ですが。

 また井上先生も日本の誇る立派な先生である事は間違いではありませんが、技の効果という点では残念ながら格段の違いでした。

 合気会さんでは、多田先生が好きです、本部の渡辺師範は嫌いです。技の理合はともかく効果を云う云うということなら現代では試合しかないと信じるものです。フルコン15年、同時に合気道35年となります。

 そうたろう様の真摯な態度には、いつも感銘しています。いつも楽しく読ませていただいています。

 
Posted by SA at 2011年08月23日 01:56
そうたろうさん皆さんこんにちは!
再び書かせて頂きました。

皆さん経験豊富な中より意見を出されておられ非常に参考になります。

私はというと・・・合気道の思想はとても興味あり始めたいとは以前より思っていますが現在フルコン空手で2級、ここで合気道に転身してしまうと中途半端で黒帯まで取らないとわからない大切なものが得られないような気がして留まっています。

私ごときが今回の題に対しコメントするのは恐れ多いので遠慮させて頂きますが、型、約束稽古だけで修行、というのはいろいろあるんですね・・・

受け手にも熟練が必要ということでしょうか?
ということは演舞と同じ考えでしょうか?

奥が深いですね。

まだ私は判断できるレベルに達していないようで・・・

また覗かせていただきます!
Posted by 気持ちはオレンジ帯オヤジ at 2011年08月23日 11:50
そうたろうさん,はじめまして。

合気道 茨城 で検索して,ここへたどりつきました。

私も空手から合気の道に入った者です。
全てにおいて,私より一歩先に行かれている,そうたろうさんのブログを読ませていただき,大変感銘を受けました。

私は,広く浅くやってきて,全然高みに達していないので,あまり大きなことは言えませんが,そうたろうさんのお考えに全く同感です。

またお伺いいたします。
Posted by トヨタツ at 2011年08月24日 13:41
こんにちは、そうたろうさん。

邪馬本さんのコメントから思い出したことがありましたので、再びコメントさせていただきました。

約20年前の高岡氏の著書(現在引っ越しの際に段ボール箱に詰めたままでお恥ずかしい限りですが)に合気道と空手の相性について書かれてあったのですが、剣道や伝統派空手(特に松濤館など)のように足を浮かせて斬りかかるように打ち込む流派には、合気道は本来の力を発揮するが、フルコン空手やキックのようなその場で打撃をしてくるタイプには対応しづらいというような内容だったと記憶しています(うろおぼえで申し訳ありません)。

ただ、その後、その書籍を見た(あるいはインタビュアーが説明した)塩田先生が「そんな単純なものではないよ。」と笑いながら切って捨てたという記事を載せた格闘技雑誌も読みました。

要するに、塩田先生のレベルになると、脱兎のごとく突っ込んでくる相手もジリジリ迫る相手も、両方捌ける自信がおありだったようです。つまり、前述の公式(あるいは図式)の当てはまる次元を超えているよという意味だったのでしょうか?

私には塩田先生ほどの人が負け惜しみを言うとはとても思えなかったので、高岡氏の指摘が基本的な次元の話だったのかなあと当時は考えていました。

もし、そうたろうさんがフルコン系の打ち込み方をしているなら、「踏み込みが甘い」「受けがヘタ」なのではなく、合気道に相性の悪い打撃の仕方をしているだけなのではないでしょうか?

なにぶん20年前の知識ですので、今度家探しでもしてその著書と雑誌を見つけてみたいと思いますが、邪馬本さんの分析のほうが最新・詳細のような気もしますので、そちらを重視されるのがよいかと思います。

以上、単なる気付きでした。では、またお伺いしますね。
Posted by SD不肖の弟子 at 2011年08月27日 17:20
南町の男さん、こんにちは。
そうたろうです。

塩田先生も「手を捕まえられてからどうこうするといった事は本来はおかしい」とおっしゃっていたのですね。

植芝翁や塩田先生がいらしゃらない現在、うまく合気道の理合が
伝わっていないのかもしれませんね。

僕は合気道は大好きですが、
のめり込んでいるわけではありませんし、
合気道命でもないので、
疑問点は大事にしていきたいと考えているんです。

南町の男さんのコメント大変勉強になりました。

ありがとうございます。

また、遊びに来てください。
Posted by フルコンタク at 2011年08月29日 10:27
Takaさん、こんにちは、そうたろうです。

そうですか、同様の事は、世界中どこでもありますか(笑)。

Takaさんの道場は、他の武道経験者やレスリング経験者など猛者がたくさんいらっしゃるんですものね。

確かに、その点、海外はシビアでしょうね。

講習会を指導された師範は、海外での指導経験はあるようですが、
海外に移住して、腹をくくって道場経営をされたわけではないので、
その点、甘さがあるのかもしれませんね。

コメントいただきありがとうございます。

また、遊びに来てください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 10:31
miruさん、こんにちは。そうたろうです。

なるほど、「受けは全力にて、打ちかかるべき。遠慮は、受けの自信過剰の気持ちで、捨て去るべき」ですか。

無駄な遠慮だったのですね。

僕の通う道場にも本物はいますので、
合気道を未だに修行しつづけているのです。

強い人は本当に強いです。

なるほど、「達人は、反主流派的な立場にいる方」。わかるような気がします。
今回の事件は、
いい勉強になり、
本物を見極めるためのいい経験になりました。

コメントいただきありがとうございます。

また、遊びにきてください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 10:37
影好法師さん、こんにちは。そうたろうです。

お察しのとおり、
入り身投げの応用技でした。

そうですね、影好法師さんのおっしゃるとおり、
思いっきりいけばよかったです(笑)。

今の合気会って、
七段、八段という段位に進む人がたくさんいますよね。

八段だからといって、塩田先生や、多田先生のような
達人だとはとても思えません(笑)。

たぶん、僕、30秒以内に
間違いなくKOできると思います(笑)。
本当に強い師範もいるのに残念ですよね。

おっしゃるとおり、
壮年部と一般部は段位も別にしたらいいのになぁ、と思います。

どんな組織でも、
段位制を導入している限り、
仕方がないのでしょうね。

大事な収入源でもあるわけですし(笑)。

コメントいただきありがとうございました。

また、遊びにきてください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 10:45
SD不肖の弟子さん、こんにちは。そうたろうです。

空手のスパーリングとは違うことは
よーくわかっているのですが、
合気道や古武術の約束事がいまいちわからないんですよ。

一口に横面打ちといっても、
それぞれ体格もありますし、クセもあるわけで、
八段レベルなら、きちんとクセを見抜いて対処してもらいたいのです。

SD不肖の弟子さん、代表の先生とガチでスパーリングをやってらっしゃるんですねー。すごいなー、と思うと同時にうらやましいです。

DVDも拝見して、師範の動きはみたことがありますが、
すばらしい動きをされますよね。

ぜひぜひ、師範から多くのものを学んでください。

いつも温かいコメントありがとうございます。

また、遊びにいらしてください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 10:53
ZUSSYさん、こんにちは。そうたろうです。

そうですか、ZUSSYさんも他の道場では、何度も同じ経験をされたとのこと。

合気道を修行するものの特有のジレンマなんでしょうかね。

おっしゃるとおり、
いわゆるスパーリングのある格闘技も
結局ルールに守られているわけですし、
ジレンマは同様にあると思うんです。

合気道はすばらしい武道だと思いますが、
もうすこし自由組手のような実験の場は
必要な気がしています。

ただ、この導入についてはいろいろと問題もあるので
難しいことは百も承知なのですが。

コメントいただきありがとうございます。

また、遊びにきてください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 11:11
邪馬本さん、こんにちは。そうたろうです。

なるほど、掛かり手の攻撃のクセによって
かかりやすいかかりにいくいはやっぱりありますよね。

同じ合気道家同士、首里手家同士の打撃のタイミングに
合わせるように技が構成されていることを前提に考えないと
おかしな方向にいってしまいますね。

この点、僕はあいまいだったかもしれません。

意識したことはなかったのですが、
もしかしたら打撃を行う際に踏み込んで停止してから手を振り始めるクセが
あるかもしれません。

もともと手刀は、空手でほとんど使いませんでしたので、
フルコンのクセはないと思っていたんですけど。

今野塾では、今まで学んだものを大事にしつつ、
技を伝えるようにされているとのこと。

すばらしい稽古体系の中で修行されているのですね。

いろいろ考えさせられるコメントでした。

ありがとうございます。

また、遊びに来てください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 11:19
りょうすけさん、こんにちは。
そうたろうです。

おっしゃるとおり、
果てしなく勘違いしている方、いますよね。
技がかからないことに快感を感じている人(笑)。

なるほど、マックスの力で
高齢の師範に打ちかかってあげればよかったです。

なんていうのでしょう。
合気道の世界にはいろんな人がいますね。

特に、柔道、剣道、空手など
ガチでやりあった経験のない
合気道一筋の方…。

頭ごなしに
試合のある武道をバカにしてしまう人。

基本的に相手にはせず
スルーしてますけど。

おっしゃるとおり、
合気道それ自体には優れた理合があるので、
未だに懲りずに稽古を続けているわけです。

合気道のすばらしい理合が現代まで伝わっているのは、
試合がなかったからこそ、だと思うんです。

多人数がけの発想とか、
僕の通う空手道場には
ありませんでしたから。

これからも「そうたろう流合気道」を追求していきたいと思います。

コメントいただきありがとうございます。

また、遊びに来てください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 11:27
41歳の春さん、こんにちは。そうたろうです。

師範もうまく技がかからなくて、
イラっとしてしまったのでしょうね(笑)

その後、僕も相手の技がかかりやすい
横面打ちを意識して打つようになりましたので、
いい経験にはなったんですけどね。

おっしゃるとおり、
別の技でいいので、僕を叩きのめして欲しかったです。

そうしたら、師範をもっと尊敬するようになったと思うのですが。

そうですよね、われわれが指導する立場になったときに、
受けに回った後輩に説教したり、注文をつけるようなことがないようにしたいと考えさせられた事件でした。

コメントいただきありがとうございます。

また、遊びにいらしてください。
Posted by フルコンタク at 2011年08月29日 11:31
SAさん、こんにちは。
そうたろうです。

ここのところ、合気道および武道全般に造詣が深い方が
コメントされていて、読んでいるだけで多くのヒントをもらえます。

僕の望んでいたスタイルがだんだんできつつあるかな、と思っていて
気が引き締まる思いです。

「合気道は試合が必要ではない」と書きましたが
少し補足しますね。

否定しているわけではないんですよ。
誤解しないでくださいね。

自由組手、スパーリング的な稽古は
合気道でも絶対必要だと思っているんです。

でも、優勝カップをもらったり、
表彰されたりする大会は必要ない、と思っているんです。

フルコン空手もそうですが、
試合があると、試合の稽古が主体になってしまいます。

特に若い人は、そうなりがち。

手刀や、狐拳打ちや、目突きといった
空手の代表的な技は、稽古しなくなってしまうのです。

試合に必要がないからです。

柔道も同様の道をたどったことはご存知だと思います。

多人数がけや座技呼吸法、合気杖術や合気剣術が
現代まで当たり前のように稽古されているのは、
試合がなかったからだと思うのです。

試合をやるのなら、
あくまでも修行の一環として
捕らえるべき、という立場を
僕は採っています。

なので、自由組手やスパーリング的な稽古は
合気道でもやるべきだと思っています。

コメントいただきありがとうございます。

また、遊びにいらしてください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 11:43
気持ちはオレンジ帯オヤジさん、こんにちは。
そうたろうです。

とにかく、今は空手で黒帯を取ることに集中してくださいね。
合気道はそれからで遅くありませんから。

受け手にも熟練が必要だと思います。
演武会でお弟子さんが激しく飛ぶのは
正しい攻撃をしているからこそ、だと思います。

やらせ、という意味ではないですよ。

そもそも、型稽古を通じて、理合を学ぶのが
古武術であり、合気道でしょうから。

コメントいただきありがとうございます。

また、遊びに来てください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 11:47
トヨタツさん、こんにちは。そうたろうです。

トヨタツさんも空手から合気道にいかれたとのこと。

同じ経歴ですね。

このブログでは、武道全般について、私そうたろうが好き勝手書いています。

読者の皆さんと共に、経験や気づきを共有して共に達人を目指しましょう、という友好的な集まりです。

お気軽にコメントを残してくださいね。

今後とも末永いお付き合いのほどよろしくお願いします。

コメントいただきありがとうございます
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 11:50
SD不肖の弟子さん、こんにちは。
そうたろうです。

高岡氏の著書に「合気道と空手の相性」について書かれていたのですか。

塩田先生が「そんな単純なものではないよ。」と笑いながら切って捨てたそうですが、塩田先生レベルだったら、フルコン、伝統派なんて区別されていないと思います。

僕は高岡氏の著作はなんだかむずかしそうで、
ほとんど読んだことがないので詳細はわからないのですが。

自分がフルコン系の打ち込み方をしているかどうかは
よくわかりません。

そもそも、フルコンで手刀を使った組手をしたことがありませんし、
せいぜい稽古の最初で「手刀顔面打ち」とか「脾臓打ち」を
やっただけですので(汗)。

ご指摘のとおり
合気道に相性の悪い打撃の仕方をしているのかもしれないので、
検証してみようと思います。

コメントいただきありがとうございました。

また、遊びに来てください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2011年08月29日 12:00
こんばんは、そうたろうさん。

高岡英夫氏の著書、この機会に勢いで引っ張り出しました。

当時大学生だった私は、「言語・記号論」とか「イーミックとエティック」とか「ラフパワーとレフパワー」とか、さっぱりわかりませんでしたが、「AFS」(「して」突き)と「BFS」(「ながら」突き)の違いだけは、何となくわかったような気がしていました。しかし、今でも厳密に説明してくれと言われれば、何度も熟読しないとその本質は語れません。

そもそも二十歳のころ高岡氏に傾倒したのも、1986年発刊の「光と闇 現代武道の言語・記号論序説」(恵雅堂出版)を購入し、何だか難しい事を考える人もいるもんだなあと思っていたら、翌年発刊の「武道の科学科と格闘技の本質」も購入したところ、第三章第四節「殺人事件と格闘/刑法の論理―逮捕協力で刺された“サッカー青年の死”」において、なぜ当該青年が死ななければならなかったのかについて、一見、死者に鞭打つ行為に見えるものの、その実、痛烈な司法・行政・教育、ひいては社会全体に対する警鐘を多分に含んでいたからです。

以後、高岡氏の著書はたいてい買いましたが、大半は氏の独自の言葉で語られていて、何度読んでも今一つ理解できませんでした。ただ、かいつまんではなるほどと思える事もあり、20年以上も捨てずに取っておいたのです。ですが、残念ながら、現在の氏の論理は飛躍が激しく、たまに「秘伝」などの雑誌を買って読むものの、まだまとまりきっていない様子で、やや迷走状態です。

肝心の「合気道に相性の悪い打撃」についてですが、「AFS」(「して」突き)のようです。さらに、

「攻撃者が<BFS>を止めて、<AFS>に徹したら、これまでの合気道の技のどのくらいが使えなくなるのですか?」
「ほとんど、八〇から九〇パーセントは、使えなくなると言えるでしょう。」
(「空手・合気・少林寺」1989年発刊・134ページより抜粋)

と衝撃的なことが書いてありました。

この後、「WAFS」や「WBFS」など、どんどん見たことも無いキーワードが飛び出して来ますが、どうも「AFS」や「BFS」を攻略する反撃の糸口のようです。

これ以上の説明は、私にも荷が重すぎますので、もし古本でも入手可能であれば、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか?

もっとも合気の達人、我らが塩田剛三先生が、高岡氏のあまりに独創的(独走的?)な理論をお笑いになったという事実からは、高岡氏の理論が当てはまる領域を超えておられたので、「そのレベルの合気道家を想定されてもらっちゃ困るんだよ、こちとら鍛え方が違うんでい!」と喝破されたのではないかと想像してしまいます。

以上、補足コメントでしたが、そうたろうさんのお役にたてれば幸いです。

なお、前回のコメントで、多少誤解を与える表現をしてしまい、お気に障ったのではないかと心配しております。それは、「『踏み込みが甘い』『受けがヘタ』なのではなく、合気道に相性の悪い打撃の仕方をしているだけなのではないでしょうか?」というくだりですが、決して「そうたろうさんの合気道が間違っている」という意味ではありませんので、お気になさらないでください。むしろ、合気道が新たな局面(そうたろうさんタイプの攻撃をする人にどう対応するか)を迎えた絶好の転機と捉えていただけると助かります。

では、また新しい記事に、そのうちお邪魔します。
Posted by SD不肖の弟子 at 2011年08月31日 20:27
>今野塾では、今まで学んだものを大事にしつつ、
>技を伝えるようにされているとのこと。

とはいえ他流のクセを容認するという意味ではありません。また同門の中にもよく知りもしないで他流を見下す人もいます。
他流で頑張ってきた結果身にしみこんでしまったものを頭から否定して自流のやり方を押し付けたら感情的に受け入れづらいですよね。まず相手を認めてあげる発言をしてからやり方を変えるように促したほうが感情的にも素直に従ってくれるだろうという私個人の処世術なんですけどねw

踏み込みながらの打撃と、踏み込んでからの打撃についてですが、合気道であろうと首里手であろうとどちらも技をかけることは可能だと思います。
約束動作をカタチだけをなぞっている段階ではたしかにかけづらいなんてことはありますが約束稽古に含まれる術理を理解していれば応用なんていくらでも思いつきます。

個人的にはいかに相手を居つかせてしまうかというところだと考えています。
踏み込みながらの打撃であれば攻撃中の中間動作が虚の状態なので対の先のタイミングでこちらから踏み込んでやればよい。養神館の塩田先生なんかはこの手のやり方を多用してますね。
踏み込んでからの打撃であれば打撃をいったん受けて拮抗した状態をつくってやりそこから力の指向性をカクンとそらしてしまえば崩れるはずです。この方法は合気上げの要領とそんなに変わらないと思います。
「手をつかませてどうこうというのはおかしい」という意見もありますが、これって「手をつかまれたらどうするか?」というハウツーではなくて「力の拮抗をどう外してぶつからない方向を探して誘導するか」という感覚を養う体操なんじゃないかと思います。
慣れてくれば手をつかんだりつかませなくても手首(あるいは体の一部)が触れ合った状態でも相手の姿勢を崩したりコントロールできるようになります。太極拳の推手みたいな要領ですね。
まあ相手との実力差にもよるんですが組手構えに構えた前手の手首を触れ合った状態で後ろ手の突きも両足の蹴りも出させなくするなんてこともできます。

>そもそも、フルコンで手刀を使った組手をしたことがありませんし

結構フルコンの人って手刀は手刀、正拳突きは正拳突き、ミドルキックはミドルキック、ローキックはローキックと技を細分化する傾向がありますね。
古流なんかだと体重移動と体幹から末端への力の伝達と間合いの操作だけを考えて、手刀を使うか拳を使うか肘を使うかなんてのは咄嗟の応用に過ぎないという考え方です。
だから古い空手家はナイファンチだけで十分とかサンチンだけで十分とか言えたんでしょうね。さらに極論すれば手刀であろうと肘打ちであろうとさらには蹴りであっても正拳追い突きのバリエーションに過ぎないとも言う人もいます。
こういう古流の考え方を知らなくても人間ってのは始めての動作でも慣れ親しんだ動作の応用を無意識に使う傾向があるので手刀打ちであってもフルコンの突きの癖が出てしまっても不思議ではないと思いますよ。
Posted by 邪馬本 at 2011年09月01日 00:35
前回、一度投稿したものです。
すべての状況を把握してはいないので、
非常にコメントの内容には気をつけなければいけないとは思うのですが、今回もやはり言わずにはいれない気持ちになり、自分を棚に上げて書かせていただきます。

これは、合気道の堕落した側面をあらわにした象徴的な事象だと思いました。
これは、堕落した合気道の稽古システムが駄目なんだと思います。
そして、それに甘んじている本部の8段の師範もどうかと思います。

先人の伝えたかった理合やその質感を教えるための手段としての型稽古が、受け継がれていくうちに質感なんかが変性してしまい、
どちらかというと型が目的になってしまった。

だから同じ名前の型なのに
師範によって理合や質感が違ったりする。 

この本部の8段の師範も、一側面では、師範なりの理合も教えたかったのかもしれませんが、頭に理想の型を思い浮かべ 攻撃もそれに沿ったカタチのものを要求している。。。
最悪です。

本来、型稽古の中においても、思わざるに対して、思わざるな対応ができる稽古システム
でなければならないのではないのかと思います。

かといって、単純に試合のシステムを導入するのは、あらぬ方向へ行ってしまうため私としては慎重派ではありますが、、

そうたろう様の、やるせなさ、お察しいたします。
Posted by クラニオアイキ at 2011年09月01日 14:10

色々と皆さんのご意見を拝読しました。

これだけのコメント数は、凄いですね。



合気道としての稽古体系に対して色々な考え方があるのは、すばらしいことだと思います。


しかし、ここで一つの考え方を提案したいと思います。


一部の競技形態の合気道をのぞき、

現在存在する合気道は型稽古の反復練習が主体になっています。

そして、取りと受けに分かれた両方に個別の技術が要求されます。


特に前に出て、代表者として受けをとるときは、演武と同等と考えるべきだと私は思います。


取りとしての表演する先生が作る結界を
正しく安定させる義務が


受けの表演者にはあると思います。


それは、威力のある打ち込みをすれば満点の世界ではないと私は考えます。


その先生が意図とした表現を正確に過不足なく体現するのが受けの役目です。


もし、単にぶつかる様な稽古がしたいのなら自分の道場で納得のいく稽古に精進している時にいくらでもできるでしょう。

一筆「何が起きても文句は言わない。」と書いて真剣に打ち込みあえば良いだけです。


今回、先生が無傷で返してくれたのは幸運と私は考えます。


型稽古の途中で相手の腕を折ることは、非常に簡単なことです。私は実際に見たことがあります。

腕が本来と違う方向に曲がる事を目撃しました。


特にプロの高段者の方々が隠されている引き出しの怖さには、細心の注意が必要な時があると思います。


あの方々は戦前の合気道を経験された方々ですから。


どの考え方が全て正しいということは、
存在しないでしょうが


表現者としての考えも少し加えてみると合気道は、奥の深さを体感できると思います。


Posted by うむむです。 at 2011年09月05日 15:48
こんばんは、そうたろうさん。

またまた来ました、SD不肖の弟子です。

「うむむです。」さんのコメントで門外漢は恥ずかしながら混乱してしまいました。

合気道の高段者というのは、問題の八段の先生のように、言い方は悪いですが、実力も無いのに段位だけ高く、そうたろうさんの攻撃に臨機応変に対応ができなかったという説



あくまで演武であり、正しい取りと受けができるよう協力しなければならなかったのに、それができなかったそうたろうさんは、簡単に腕を折られても仕方なかったところを、合気道の高段者の先生は潜在能力を隠していて、あえてそれをしなかったに過ぎないという説

とでは、どちらが本当なのでしょうか?

前者なら、合気道高段者の中にも「井の中の蛙」的な人もいて、本物とそうでない人が混在しているという捉え方でいいのかなあと思っていましたが、後者なら、ただ事ではありません。型稽古で平気で弟子の腕を折るような戦前の猛者が合気道高段者なら、いろんな意味で「合気道恐るべし!」です。

それは武術としての合気道が恐ろしいほどの殺傷力を脈々と伝えている点について、他武道はゆめゆめ油断するべからずということと、道場の中とは言え、お弟子さんの腕を折るのは、事故だとしても過失致傷の疑い有りです。ましてや、今回の演武でそうたろうさんが無傷で帰れたのが幸運という世界とは、法治国家日本においてゆゆしき問題です。

私は、合気道は太平洋戦争中、大陸において、他武道を圧倒する殺傷力を発揮したという話を聞き及びましたが、と同時にその閉鎖性から、現代では、術理は素晴らしいが実践が伴わないという評価を受けているようにも聞きました。

ゆえに、その実践性を証明すべく、演武なり試合を取り入れるなり、鋭意努力されているのだと思っていました。

私は、他の武道をけなすような武道家は、まだ修行が足りないのだと思いますが、合気道に対する見方が、前者なのか後者なのかで、180度変わりそうです。

前者なら、リスペクト出来る良い先生に師事すれば、上達も早く、達人も夢ではないのだと思えますが、後者なら、正直、お会いしたくありません。師事したら、どこで無礼を働いて腕を折られるか、手合わせを願えば、生かして帰してもらえるだけ有り難い、そんな修羅道を「対すれば相和すのが合気道」などとは、とても信じられません。

私も、道場探しの時、市内の武道館で、高齢の先生が坊主頭の若者達に命令口調で型をさせていたのを見て、てっきり合気道だと思っていたら、柔道の昇段試験の型稽古でした。ただ、その時の武道館の暗さが、照明だけの問題ではなく、その集団の持つ上命下服・絶対服従の無機質な自由意思の無さによるものだと思い、身震いして帰ろうとしたところを、別の部屋で空手をしていたので、つい覗いてしまったら、壮年の先生がニコニコと近づいて来て見学のお誘いをしてくださいました。

そこは和道流の空手で、その先生も何と私の学生時代の町道場の先生とお知り合いで、しばし談笑した後、型をされていた黒帯の女性の技のキレに見とれたりしながら、気持ちよく武道館を後にしました。

ところが、問題は、その道場に親子で通っていたという同僚(もうやめたそうですが)の話によると、その道場の最高師範にあたる方が、特攻隊の生き残りの方で、元A総理とも杖道を通して相互に影響力を持ち、壮年の先生が教えている時と、その方が来た時では、まるで雰囲気が違うそうです。まるで、戦前の亡霊が新兵をしごくかのように檄を飛ばして回るそうで、先ほどの柔道の集団の暗さを思い出し、再び身震いしました。

結局、その後、新極真の道場なども見学させていただきましたが、息子には合わない感じでしたので、現在の道場に決めさせていただきました。ただ、あの「暗さ」が、本来の武術・武道の厳しさの本質だったのか、あるいは「戦前の亡霊」のなせるわざだったのかはわかりませんが、ただの「殺人術」の伝授なら、時代錯誤も甚だしいと、一市民として思いました。

合気道界だけにかかわらず、武道界が未だに「殺人術」を追求するだけのものであれば、現代日本には相入れないし、武道必修化など言語道断です。しかし、私は空手が好きです。代表や師範の方々や先輩や子供たちが、自分の力なりに懸命に稽古に励む姿が好きです。

現代における「武」の在り方ってどうなんでしょうね?その存在価値って何でしょう?「人を殺すためだけなら銃を持った方が簡単だ」という命題に、何と答えるべきなのでしょう?

くれぐれもお断りしておきますが、「うむむです。」さんのコメントに対する個人攻撃ではありませんので誤解のないようにお願いいたします。そういう世界があるのか、あるとすればそれはどういう意味を持つのかを、純粋に悩ましいと感じただけですので・・・。むしろ、そんな問題提起をしてくださった、「うむむです。」さんに感謝しております。

それでは、まとまりのない文章で、真意が伝わりにくかったと思いますが、正直な感想ですので、お気に障った方がいらっしゃったらすみません。

また、お邪魔します。
Posted by SD不肖の弟子 at 2011年09月05日 23:47

文章力足らず、すみません。

私は、8段の先生の

実力云々を語るつもりはありませんでした。




合気道の型稽古としての考えかたには、

いくつもの考え方があり、


その一つとして、


指導者の受けを前に出てとる際の

「受けをとる」という事に対しての

考え方を述べたつもりでした。



合気道が実践的かそうでないかは

個々の方が追求されればよいことなので

誤解を与えたことは申し訳なく思います。


すみませんでした。


Posted by うむむです。 at 2011年09月06日 11:32
こんばんは、SD不肖の弟子です。

「うむむです。」さん、門外漢が真意を汲み取れず申し訳ありませんでした。どうぞお気を悪くなさらないでください。

型稽古の一つの「提案」であって、そこが最も大事な部分だったのに、自分でもよくわからないまま長文を書いているうちに、本質を見誤っていました。

和道流の約束組手にも、打突投極を交代で掛け合うものがあります。確かになれあいでは上達しませんが、そこに真剣さを突き詰めてゆけば、意味のある稽古体系でもあります。

その際、ある程度の「約束」があるのは当然です。それを意味あるものにできるかどうかは、当事者の問題なのでしょう。

この記事の問題提起は多岐に渡り、焦点をどこに置くかで、全く違う切り口の論議になってしまうので、みなさんのコメントを熟読しなければ、ピント外れの意見になってしまうところが怖いですね・・・。反省してます。

では、あらためて「うむむです。」さん、すいませんでした。勉強になりました。

そうたろうさん、またお邪魔しますね。
Posted by SD不肖の弟子 at 2011年09月06日 18:29

「SD不肖の弟子」さん、こちらこそすみませんでした。


おっしゃる通り、腕を折ることは事故であってもならないことであり


この場面で語ることは混乱を招くだけの事象でありました。



そうたろうさんの提起される合気道の問題点は、稽古を真剣にする者にとって永遠のテーマになることだと思います。


合気道には「固体」「流体」「気体」の稽古方法があると教えられて稽古してきました。


「固体」は、あえて理合による受けをとらず受けの者は防御の為の最低限の受けで行う稽古として鍛錬する。
打ち込みは激しく、しっかり捌く練習を。


「流体」は、流れと理合を重視し相対的な関係を構築するための滞る事の無い技の鍛錬を。


「気体」は、高段者の方々の稽古法としての存在をお聞きしただけですので私は辿り着けていませんがいつか経験したい稽古です。


すべての稽古方法において受けのとる技術は変化すると考えております。



稽古の場にて、その時の指導者が上記3つの稽古法のなかでどれを選択して指導されているのかを感じる事を努力すれば


自ずからその場での「受け」の稽古が理解できると思います。


合気道の技を対人制圧技術として考えると

「仮説」→「検証」→「評価」の流れが

とても不安定で仮説が全て正しいと錯覚している方が多く存在するのも事実です。


「検証」=「試合」と割り切ることができないのも事実です。


私にも答えがわかりません。


今後とも皆さんの考え方を勉強させていただきながら稽古に精進したいと思います。


「そうたろう」さん、「SD不肖の弟子」さん、


生意気な持論をお許しください。


では、失礼します。

Posted by うむむです。 at 2011年09月07日 16:30
「うむむです。」さん、わざわざ再度のお返事痛み入ります。

合気道の世界の内側から見た上達論と、外側から見ている門外漢の感想とでは、本当に「次元」が違うものだなあと感嘆しています。

「生意気な持論」などと御謙遜されずに、これからも、興味をもたれた記事には、どんどんコメントされる事を期待いたします。

合気道を深く学ばれた方の視点は、私にとっても興味深く勉強になりますし、きっと、そうたろうさんやこのブログの閲覧者の方々にとっても有益な情報になると思いますよ。

そうたろうさんの「道場(≒ブログ)」にはいろんな人が出入りして、お互いを高め合うのが目的なのですから、礼を欠かない限り、御自分の思われる事を、そうたろうさんや他のコメントをされている方に、「いかがですか?」と問うほうが、議論が活発化して、より良い雰囲気になるのではないでしょうか?

以上、私は、そうたろうさんの代弁は差し出がましくてできませんが、私なりの感想です。

私は、今後も「うむむです。」さんが常連さんになってくれるといいなあと思っています。これだけは間違いのない事実です。

それでは、お邪魔しました。
またお会いしましょう!
Posted by SD不肖の弟子 at 2011年09月07日 21:31
初めまして。
こちらのブログは時々ですが、拝見させて頂いてます。
僕は、総合のジムで寝技系を数年経験し、(趣味程度ですが)1年ほど前から、とある合氣道のワークに参加してます。空手も、未経験ですが大好きです。そうたろうさんの武道への探求と情熱、尊敬とある種の羨ましさをもって拝見しています。
色々調べているうちに、この記事にあたりまして、ずいぶん前のものだしここにコメントするのはどうなのか、また自分のような経験の浅い人間が述べるべき事だろうかと思いましたが、僕なりの意見を聞いて頂ければと思いまして。

この記事の出来事って捉え方によってずいぶん考えが変わると思うんです。
師範が演武の事を考えて『型の表現』を指導されていたのなら、それは受けも綺麗に見せないといけないので師範の仰る事もある程度理解はできます。
ただ、型を『技』として表現していてこのセリフを仰ったのであればちょっと違うかな、と。

 僕は現行の合気道の型はあまりにも形骸化されていると思っています。
本来の意味を失っているのではないかと。

 武道研究家の日野晃先生は、植芝翁から直接合気道を習った砥島靖氏に、「あれは、手を掴ませるように誘導する練習・相手の手に付いていく練習です」と聞いたそうです。

 僕は、平常時を「安定」だとすると、戦いとは「不安定同志の対立」だと考えます。

その中で合気道は唯一、『不安定な状況・相手』を『安定してる自分』に引き込めるかを表現してる武道だと思ってます。じゃないと、「一体になる」とか「和合」とかいう言葉は出てこないし嘘になるんじゃないでしょうか。

だとすると、型の中で求めなければいけないのは、勿論技も大事ですけど、それよりも相手との「感応する質感」というか、そういうものだと思うんです。

そこにこの日の出来事の答えを求めたなら、この出来事は「不安定なそうたろうさんを、師範は自分の安定の領域に引き込めなかった。」とも言えるのではないでしょうか?

踏み込みが云々とかでは無い気がします・・・何だか超生意気なこと言ってすみません。



 
Posted by アースガイド at 2016年09月24日 09:04
アースガイドさん、こんにちは。そうたろうです。だいぶ前に書いた記事にコメントを寄せていただきありがとうございます。

おっしゃるとおり、現行の合気道の型はあまりにも形骸化されており、本来の意味を失っています。


ご指摘のとおり、合気道は、『不安定な状況・相手』を『安定してる自分』に引き込む術理を使う武道です。

なぜわざわざ、決まりきった型稽古を繰り返すのかというと、相手との「感応する質感」とか、感覚を養うためです。

以前、僕がおじいちゃんたち相手の稽古にも意味があるといったのは、この「感応する感覚」を養うことは可能だからです。

師範は、僕を崩せませんでした。たぶん師範と僕は、皮膚感覚の相性が良くないと思います。

そして、師範もまだまだ1000人に技をかけて1000人に技がかかる境地には達してらっしゃらないのだと推察します。

誰にでも技がかけられないと本物ではないと思うし、師範も完成した武道家ではなく、まだまだ進化の途中なのかもしれません。

ともあれ、ガチンコ勝負をしてきたフルコン空手家の僕からすると、時々、違和感を感じてしまう合気道の稽古なのでした。

コメントいただきありがとうございます。

また、遊びにいらしてください。
Posted by フルコンタクト空手家、合気道を学ぶ at 2016年10月09日 08:20
そうたろう様、皆様、はじめまして。

以前こちらのブログを発見していたのですが、今日は久々に読み返させて頂いておりました。そうたろう様は私よりも武道歴が長く且つ高段位でありますし、数年前の記事にコメントをさせて頂くのは少し心苦しいのですが、アースガイド様の姿勢に習って勇気を以ってコメントさせて頂こうと思います。

この度は不可解な思いをされて苦心されてみえたようで心中お察しします。私も、諸先輩に習う際にありゃあ?と思う事も稀にありますけれど、双方研鑽中の身なのだからと飲み下しております。
この場合ですがやはり講習会の解説としての時間のようでしたので、威力は殺さずですが、相手の求めるところの形にて合わせるのが理想だったのではないでしょうか。講習会で見ているのは黒帯だけではなく、始めてから数ヶ月といった白帯の方もいらっしゃったのではないかと思いますし、次に見せる技も予定されたものだろうと容易に想像出来ます。そういった面からは、咄嗟の対処で予定外の形に収まった流れの技を(初心者を混乱させないためにも?)見せたくなかったという気持ちも少しはあるのではないかと邪推します。(無論私個人の本音では取りが上手く捌いて予定の流れに直してやるのが望ましいとは切に思いますが…)

形が良ければ威力が強くとも表に間に合わずとも裏にと何とか捌いてくれた事でしょう。そう強く期待します。そうでなければ…残念なケースだったとして見なかった事にしますね(苦笑
私の師範の仰った言葉で、『人間なので失敗する事もある。目上の方の良い点はよく観て吸収し、悪い点は見ないようにしなさい。』というのがあります。この言葉を思い返して心を落ち着かせられた事は何度もあります。


講習会のその師範の方の技の掛かり方の巧拙については、講習会のきちんと時間を取った解説の時間ではなく、稽古中に通りがかった同師範にお手をとって頂いた際に注目が集まる前に再び試させて貰うだとか、自分の道場で気負いのない同期等と談笑しつつ効果を試す等でよかったのではないでしょうか?

ちなみに私は、手を取りに行く際には馬鹿正直に真正面から逆半身にならずに相手の中心からは外れつつこちらの中心で手首を掴んだり、その際四教を効かせながら掴んだり、技の流れの最中になるべく相手の死角に安定した姿勢で陣取ってしまったりして、失礼ながら先生方の意識の働きを僭越ながら観察させて頂きながら、知らない技でも効きが甘くとも技の一連の流れに沿って受けをなるべくスムーズに取らさせて頂きます。効きが甘い時は表情が憮然としてしているので、分かる師範は分かるかと…気を利かせて下さる先生はそこから技も効かせて下さいます!(笑 気付いて下さらない方だと寂しいですね(私は決してマゾではありません)
例え半端な掛かりの技だとしても、それを吸収するかしないかは参加した各門徒の自由ですしね…(苦笑


それからその会場の黒帯の半数の方は、受けを貶めるような発言を受けて笑ったのではなく、『ああ、高段者の方でも常に完璧な成功にできるわけではないのだなあ。きっと恥ずかしかったんだろうなあ。』といった苦笑いだったのではないかと思えます。はい、経験談です(苦笑

例えぶつかっても綺麗に収めるのが生活における心の実践合気道、と志します。(これで道場の系統バレしてしまいますでしょうか?笑)


ここからは更に少し書きづらいのですが、横面打ちと、首を切るのと、袈裟を切るのとでは、私の中では結構間合いや角度が違ったりします。無論捕り手側からしたらどれも大差なく捌いて技の流れへ収束させられるべきですが…。

私は合気道をする前は剣道をしており、また合気道を始めてから更に強く剣術や居合を意識しておりましたが、合気道は本当に『面白さ』を感じます。また同じ武道でも剣道は『楽しさ』を感じます。これはきっと競技ではない合気道を体験しなければ得られなかった感覚だろうと思っています。
他武道でもあるでしょうけれども、競技経験者からすると合気道の社会は場所による温度差や巧拙が激しく違うと感じる事もあります…が今は間口が広い分色んな姿勢の者がいて、それを内側から否定する事はできません。自らの参加するコミュニティが自らの趣向にあったらものならば皆幸せ、ですね。



喋りたがりで、偉そうにもつい余計な話まで脱線してしまい申し訳有りませんっ!(笑
長々と大変失礼致しました。またお邪魔させて頂きます。
Posted by へっぽこ特殊初段 at 2017年04月18日 01:46
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